火野正平のインターナショナル

2011年6月4日土曜日
火野正平のインターナショナル
■ 大きな震災があって、みんながまとまって頑張れニッポンなどと言ってる時に火野正平のことなど書いていていいんでしょうか。もっとマシなテーマが無いかと考えてみたんですがね。火野葦平じゃあないよ。作家じゃあなく、軟派な男の人の件なのです。若い人にはよくわかりにくいかも知れないが、1970年代に小学校であれば、知ってるかも知れない。若いときから猿顔というかくちゃ顔で、テレビや映画の女性スタッフから、女優、歌手まで切れることなく手を出し子供の認知も3人ぐらいあったか無かったか。たしか、僕と同年で、僕が東映でキーハンターとか、プレーガール、柔道一直線、刑事くんとかの助監督をやっていた時分に急に芸能ニュース部門で有名になった輩のことだ。
お相手は一流の芸能人でなく、二番手ぐらいに的を絞って確実にしているのが嫌らしい。西川峰子とか、新藤恵美とか、「ベッドでたばこを・・」のリリーとか、相手はたいしたことないのだが、何時も戦時体制で、まめで成果を上げているように見えた。確か「刑事くん(桜木健一主演)」で1〜2回一緒だったような。当時、若く同年代であった僕には、彼のモテ具合がほとんど想像がつかない事に思えた。ハンサムは業界にたくさんいる。話のうまい人も多い。でも彼は身長もないし、ぼそぼそとしか言わない印象。当時、何でこいつ女にもてるか解らなかった。「まめさ」がモテの最大武器であるなんと気づいたのは、40才になってからじゃあないの。今の若者は情報社会で育ってるから、若い内から「まめさ」が重要ぐらいしってるんだろうなあ。知ったからと言って若い内に「まめさ」で勝負するの、どうなの。若い内は戦略も計画もなく、ぶち当たって、転けてしまうのが相応しい。そのうち学習して行く訳で、若い時から、手練手管の成功「チャート図」だけ知っていてもしょうがないぜ。

で、火野正平ベトナムにも結構いるのさ。昨日夕方、寂しくもひとりで、角のBIAHOIで、VNのソーセージ「ネムチュア」をかじりながら、生ビールをぐびぐびやっていたら、僕の目の前に火野正平がいた。いつものように女を口説いている。身なりはワイシャツ、黒いズボンの造作ないカッコウで、火野正平はお相手を飽きさせず、囁いている。彼はNHKのBSでロード自転車で全国行く「ちいさんぽ」みたいな新番組を始めたので、彼は当人でないことはすぐ解ったが、たれ目の猿顔、飽きさせない話題、落ち着いた話し方をサポートするような大きくはないが何か意味を暗示する手の仕草、料理を仕分けして、勧める際の優しい破顔。まさにそっくりのプロの火野正平だ。女性は、こんな場末のBIAHOIが似合わない富裕層のグラマラスな40才代。たまたま、西川峰子似であるのが可笑しい。周りには場所柄ハノイ工科大学の学生どもが騒がしく飲んだくれていたが、そんな騒音モノともせず、夜の帳が下りた頃、まさにスポットライト当たっているような、独壇場な風情であった。

冒険家で医師の関野吉晴さんが十何年継続している人類の移動の踏査「グレートジャーニー」に従えば、人類が誕生したアフリカ中部を10万年前に出発した火野正平、いや人類はどうも猿顔アジアモンゴロイド種をあちこちに分散定着させながら、1万五千年後には、アリューシャン列島から北米、中米、チリマゼラン海峡まで、人類は行進した。よく考えると、グレートなジャーーニーの実行に及んだクロマニオン人は、大型ネアンデルタール人と違って、モンゴロイドのつまり火野正平種の相貌と体系を形作りながら、海をわたり、アラスカから、一直線に南下した。だから、火野正平は、トルコやウズベキスタンあたりにもきっといるし南下したベトナムに、北上して中国、韓国そして、アラスカ、メキシコ、中米、インカ・チリあたりにわんさかいて、可笑しくないわけだ。まめな御人も世界中に結構いるってことですね。

日本人で火野正平より、ちょっといい男だが、まさにそっくりのお猿男で、後藤勇というこれまた同年の友人がいる。彼とは20才代からの付き合いで本当にモテテいた。彼は、「地球の歩き方」の創設編集者のひとりだから、ロンドンにも恋人が、キューバにも、東京にも2,3人いて、僕も随分付き合わされて一緒に酒飲んだ。まめな人は一生懸命だから、ロンドンのレイチェルが、別れのレターを寄越したときには、僕は新宿のジャズバーあたりに彼を誘わないと心配なくらい落ち込んでいたな〜。まだ、本当の紙のメールの時代。リタイアして、今日あたりも豪華船(先日乗船するとメール在った)で、どこかの海原にいて、白いテーブルを挟んで、麗しいお姉様と微笑み交わしているはずだ。